家族が近すぎて見えなくなる日の、
9つの問い

家族のことが、いちばん見えにくいです。

毎日同じ屋根の下にいて、毎日同じ顔を見ているはずなのに、いつのまにか「親はこういう人」「配偶者はこういう人」「子どもはこういう子」という古い輪郭で見ていて、目の前にいる本当のその人を、しばらく見ていない——そういう状態になっていることがあります。

ここに並べる9つの問いは、家族を変えるための問いではありません。家族との関係を見直すための問いでも、誰かに優しくなるための問いでもありません。近すぎて溶けてしまった輪郭を、こちら側で一度だけ取り戻す——それだけのための問いです。

イーサン・クロスの『Chatter』という本に、頭の中の独り言と距離を取る技法のひとつとして「自分の名前で自分を呼ぶ」というやり方が紹介されています。家族の話題はとくに、当事者の温度から抜けにくい。だからこそ、いくつかの問いだけは三人称で置きます。9問のうち3問だけです。残りは普通の二人称で構いません。

家族の話は、扱いがいちばん繊細です。この記事の中の問いは、誰かを問い詰めるためのものではなく、自分が自分の中で一度だけ確認するためのものとして読んでください。


問い1

〇〇(自分の名前)は、家族にどんな顔を見せている日が多い?

最初の問いを三人称にしたのは、自分の家庭での顔は、自分でいちばん見にくいからです。「自分はどんな顔をしている?」と問うと、「いい顔をしているはず」「疲れた顔をしているはず」と、すぐに評価が入ります。「〇〇はどんな顔をしている?」と問うと、評価より少し前に、ふっと事実が浮かびます。

最近の写真を1枚思い出してみる、くらいで十分です。良いも悪いもありません。

あるサービス業の店長さん研修で、「お客さまに見せている顔と、家族に見せている顔、どちらが本気ですか?」と尋ねたことがあります。多くの方が少し笑って、「お客さま側です」と答えられました。家庭で力を抜けているなら、それはむしろ健やかな証拠でもあります。ただ、そのことに気づいていないだけ、ということもよくあります。

問い2

家の中で、いちばん素に戻れる場所はどこ?

寝室か、台所か、ベランダか、お風呂か、トイレか。家の中の安全地帯がどこにあるかを知っていることは、家族関係を考えるよりずっと先に、自分を保つことに直結します。安全地帯がないなら、それも一つの情報です。

問い3

家族に「言わなくてもわかるでしょ」と思っていることがある。

問いではなく、置いておく一文です。「ある?」と聞くと、たいていの場合「ある」と答えてしまうので、「ある」と置きます。何があるかは、思い出さなくていい。「言わなくてもわかるでしょ」と思っている時点で、相手には届いていない可能性が高い——ということだけ、いったん横に置いておく。

責める必要はありません。誰の家庭にもあります。


ここまで読まれて、もしかしたら「家族のことを掘り返すと、しんどくなりそうだ」と感じられるかもしれません。

その感覚は、たぶん正しいです。家族の問いは、仕事の問いより数段重いです。ですから、ぜんぶに答える必要はまったくありません。答えが出てこない問いは、出てこないこと自体が答えだと考えていただけたらと思います。掘り返したくない場所は、今日は掘り返さない。それでこの記事はもう、じゅうぶん役目を果たしています。


問い4

家族の誰かが、自分の変化に一番最初に気づいてくれた——そのことは覚えている?

髪型を変えた、痩せた、太った、声が低くなった、笑い方が変わった。何でもいいです。家族は、こちらの変化に最初に気づく観察者でもあります。気づかれたとき嬉しかったか、気づかれてうるさいと思ったか、気づかれてもなにも感じなかったか。反応の種類が、その時の関係の温度をそのまま教えてくれます。

問い5

〇〇は、家族に期待されていると感じることと、自分が期待していることを、混ぜていない?

ここで二度目の三人称を置きます。家族の中での期待は、与える側と受ける側がぐるぐる入れ替わって、ほどけにくくなりがちです。「自分は親にこう期待されている」と思っていることが、実は自分自身が親にそう期待してほしかったこと、というケースもあります。逆もあります。

混ざっていることに気づくだけで、十分です。ほどく必要はありません。

IT業界の管理職研修で、「ご家族からどんなふうに見られていると思いますか?」と尋ねたとき、ある方がしばらく考えてから「それは、わたしが家族にそう見られたいと思っているだけかもしれません」と話されたことがあります。家庭の中の期待は、誰が誰に向けたものか、本人にも分からなくなることがあります。問いを立てるのは、答えるためではなくて、混ざっていることに気づくため、だったりします。

問い6

家族から受け取ってきたものの中で、もう返せないものがある。

問いではなく、置いておく一文です。

「何を返せていない?」とは聞きません。返せないものは返せないからです。料理、送り迎え、心配、お金、時間、見守り、無条件の許し。挙げ始めるときりがないので、挙げない方がいい。返せないものがある、と認めるだけで、家族に対する重さの種類が、ほんの少し変わることがあります。

これは罪悪感を煽るための一文ではありません。返せないものを抱えているのは、誰しも同じです。

問い7

家族の前で泣いたこと、最近あった?

泣いたか泣かなかったかに、良し悪しはありません。泣ける家族、泣けない家族、泣くタイプの自分、泣かないタイプの自分。それぞれの形があります。ただ、最近泣いていないなら、最後に泣いたのはいつかを思い出してみる。それだけでも、自分と家族の距離が、なんとなく見えたりします。

問い8

家族のことを考えると胸が重い日、〇〇の体はどこが固くなっている?

3つ目の三人称です。家族のことで胸が重い日、頭はぐるぐる回りがちですが、体は意外とはっきりしたサインを出しています。肩か、顎か、胃のあたりか、背中の中ほどか。重さの場所が分かると、対処の仕方が「家族をどうにかする」から「自分の体をほぐす」に少し移せます。

家族の問題は、こちら側だけで解けるものではありません。ですから、まず体の方から、ほどける場所を探していく。これは諦めではなくて、現実的な順番のつけ方です。

問い9

今日、家族にできる一番小さなことは何?

最後の問いは、未来に向けた小さな問いです。

大きな決意は要りません。「ありがとうを一回多く言う」でも「同じ部屋で5分黙って一緒にいる」でも「カーテンを開けるときに名前を呼ぶ」でも、なんでもいいです。できる一番小さなことを思い浮かべるだけで、関係を変えなくても、今日の手触りは少し変わります。

思い浮かばなければ、それも今日の自分の状態です。明日、また聞き直せばいいだけのことです。


9つ、並べました。10ではなく9なのには理由があって、本当はこの位置にもう一問ありました。「家族の中でいちばん優しくできていない相手は誰?」という問いです。書きかけて、削りました。家族の中に順位をつける問いは、答えても答えなくても、自分を責める方向にしか転びにくい——そう思い直したからです。

残った9つは、家族を変えるための問いではありません。家族のことを、もう一度ちゃんと見るための問いでもありません。近すぎて見えなくなった輪郭を、こちら側で一度だけ確かめるための問いです。輪郭を確かめたあと、なにかをするかしないかは、また別の日の話です。


気になった問いだけ、手帳の端に書き留めてみてください。


もし今、しんどいときは

1人で抱えなくていい。専門家に話すことは弱さではなく、選択肢の1つです。


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